健康・医療産業の未来を担うゲノム医科学研究

メディカル・フロンティア戦略の一環

遺伝子の解析による疾病対策・創薬、再生医療の総合研究などを盛り込んだ「ミレニアム・ゲノム・プロジェクト(MGP)」がスタートして10年が過ぎました。現在、遺伝子多型を利用した疾患の遺伝的背景を探る研究は、世界的な潮流となっています。

この分野は健康・医療など重要な課題と直結するため当然とも言えますが、残念ながら日本におけるゲノム研究の優先順位はそれほど高くありません。

原因のひとつは、将来、どのような質の医療を提供するのか、産業基盤をどうするのかといった医療政策、健康や医療にかかわる産業政策の具体的なビジョンが欠けているからです。

医療の質が向上すれば、それに見合って経済的な負担が増すことになりますが、財政支出を減らすために、医療の質をある程度で満足すべきなのか、あるいは税金が増えても、医療の質を優先するのかという選択の問題を、国家的に議論する必要があるのではないでしょうか?

現在の医療制度改革では、右肩上がりの医療費の削減ありきで、結果的に満足な治療を受けることができずに要介護の人を増やし、介護制度にも悪影響を及ぼしています。医療崩壊を防ぐために急場しのぎともいえる対策がとられていますが、現状では医療制度がますます歪なものになると懸念の声が上がっています。

これに対して、欧米先進国は健康・医療産業を将来の産業基盤と捉えて対策を打ち出しており、ゲノム医科学研究はその基盤として重要な課題と位置づけられています。その根底には医療は国の足枷ではなく、国が発展するための投資であるという考えがあるのです。

ゲノム研究は既に過去の研究分野だと考えている人が多いのは先進国では日本だけであり、ゲノム医科学研究が医療全般に大きな影響を及ぼす研究分野であるとの再認識が必要です。医療産業分野において、日本は輸入超過となっていますが、この傾向が続くと医療経済の破綻は免れません。
日本発の医薬品開発を推進するためにも、質の高いオーダーメイド型医療を世界に先駆けて構築するためにもゲノム医科学研究の更なる発展が不可欠なのです。

生物固有の特性の情報を規定するゲノム

4種類の塩基で成り立っています

生物種はそれぞれ固有のゲノムを持っており、その生物種の姿形は勿論、さまざまな特性もゲノムに備わった情報で規定されています。

ゲノムは遺伝物質の総称であり、私たち人間の場合、24種類の染色体(22種類の常染色体とX・Yの2種類の性染色体)に分散する形で、遺伝情報が蓄えられています。この遺伝情報を担っている化学物質は、DNA(デオキシリボ核酸)であり、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類の塩基がその構成要素となっています。

ヒトのハプロイドゲノム(精子や卵に含まれる全遺伝暗号に相当)はこれらの4種類の塩基の合計約30億対から成り立っています。したがって、体細胞はディプロイドゲノム=60億塩基対(120億塩基)を有しているのです。

人間の体は、ホルモン、消化酵素、体を守る抗体などさまざまなタンパク質によって恒常性が維持されていますが、このタンパク質をつくる情報を担っているのが遺伝子であり、遺伝子には、いつ、どこで、どのようなタンパク質をどれだけの量をつくるかを規定するプログラムが書き込まれています。

ヒトのゲノム中には、このような遺伝子が約2.5万種類のタンパク質をつくりだす機能が備わっています。また、タンパク質はリン酸化・アセチル化・酸化・グリコシル化・メチル化などの修飾を受けることによってその性質が変わることが知られており、機能別で考えると数十万種類のタンパク質が存在することになります。

DNA

2.5万種類の遺伝子がヒトゲノムに含まれているわけですが、遺伝子が単につながったもの=ゲノムではありません。遺伝子と遺伝子の間には、遺伝子の働きに関係していないと考えられている部分があり、これがゲノムの多くの部分を占めています。

イントロンには、タンパク質にかかわる情報こそないものの、遺伝子の発現量を調節する配列(エンハンサー等)の存在が明らかになっており、遺伝子の働きとは無関係でないことは明らかです。エクソンは全遺伝子暗号のうち、わずか1.5%にすぎません。

また、染色体の両端にあるテロメアという構造や染色体の中央にあるセントロメアなどは遺伝子ではないものの、細胞が生きていくためには不可欠な構造となっています。最近では、RNA干渉という現象が明らかになっており、何の意味もないと考えられていた領域に、転写や翻訳を調節するRNAを産生する情報がコードされていることがわかりつつあります。

個別化医療への取り組みが本格化

製薬企業の競争が激化

ゲノム解析技術が進展したことにより、遺伝子情報に基づいて患者一人一人に最適な治療法を提供する「個別化医療」の実現に向けた動きが本格的になってきました。

遺伝子やタンパク質などのバイオマーカーを使用することで新薬開発の効率性を高めたり、最適な投与患者や投与方法を選択するといった個別化医療がトレンドとなっており、コンパニオン診断薬を伴う医薬品の開発が増加し、医薬品も承認されるようになりました。

代表的なものとしては、「ハーセプチン」と「ハーセプテスト(HER2過剰発現検査)」などがあり、2012年にも、非細胞肺がん治療薬「ザーコリ」とそのコンパニオン診断薬であるALK融合遺伝子検出キットや、成人T細胞白血病リンパ腫治療薬の「ポテリジオ」とそのコンパニオン診断薬である「ポテリジオテスト」が承認・発売されました。

武田薬品、アステラス製薬、エーザイをはじめとして、製薬会社の医師採用は活発化しており、個別化医療を積極的に進める戦略を打ち出しています。国内最大手の製薬会社である武田薬品はオンコロジー領域における個別改良を進めるため、ベンチャー企業、診断機器メーカー、大学などと個別改良に関する提携・共同研究を行っています。

アステラス製薬も、全ての疾患領域で個別化医療の取り組みを推進しており、最終的には口蓋剤の8~9割で診断薬とのセット販売を目指す方針を打ち出しています。エーザイや協和発酵キリンなども同様な方針を掲げており、診断薬開発の強化を図っています。

とはいえ製薬企業にとって、その取り組みは容易ではありません。個別化医療において製薬事業と並んで柱となる診断事業は、製品の付加価値や収益性まであらゆる面で製薬事業と大きく異なるためです。したがって、製薬企業にとって、診断薬と同期を取りながら展開していくことが求められる個別化医療において、新しいスキルやプロセス、マネジメントにおける組織的能力を構築・獲得することが必須となります。

個別化医療で国内の製薬会社に先行する欧米のメガファーマの取り組みモデルは、診断薬の研究開発、生産、営業スキルを有し、製薬・診断の両事業で収益を挙げる「完全統合型プレイヤー・モデル」から、診断事業への研究開発投資は、最小限に抑え、薬剤ごとに個別化医療へ取り組む「戦術的・プレイヤーモデル」まで、様々なタイプに分かれています。前者はロシュやノバルティス・ファーマに代表される製薬企業が展開しているビジネスモデルです。